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鹿児島地方裁判所 昭和45年(ワ)199号 判決 1974年5月31日

原告 椎原武法

右訴訟代理人弁護士 辰巳孝雄

被告 国

右代表者法務大臣 中村梅吉

右指定代理人 吉田和夫

<ほか五名>

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金二九万円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は昭和四二年九月から鹿児島刑務所に服役していたものであるが、原告の右服役中に、同刑務所所長(以下単に「所長」という)が原告に対し、次のような各処分を行った。

(一) 原告が昭和四三年五月二五日居房内でナイフを発見しながら、それを職員に提出せず、同年七月三日までの一箇月余りの間隠匿所持していたとの紀律違反の疑いがあるとして、同月四日から同月一五日までの一二日間昼夜独居拘禁取調処分に付し、同月一六日、右紀律違反を理由に同日から一〇日間の軽屏禁の懲罰を科し、同日から右懲罰の執行をした(但し、二日間は免罰)。

(二) 原告が同年八月九日在監者久野光次と密書授受をしたとの紀律違反の疑いがあるとして、同日から同月一三日までの五日間昼夜独居拘禁取調処分に付し、翌一四日、右紀律違反を理由に同日から六日間の軽屏禁の懲罰を科し、同日から右懲罰の執行をした。

(三) 原告が昭和四五年二月九日午後六時七分ころ大声を発声したとの紀律違反の疑いがあるとして、翌一〇日から同月一六日までの七日間昼夜独居拘禁取調処分に付し、翌一七日、右紀律違反を理由に同日から二〇日間の軽屏禁の懲罰を科し、同日から右懲罰の執行をした。

2  所長が原告に対してなした右各処分は、次の理由により、いずれも違法な処分である。

(一) ナイフの隠匿所持について

(1) 原告は昭和四三年五月二五日第一雑居舎一四房において、床板の枠と壁との隙間にナイフ(以下「本件ナイフ」という)があるのを見つけた。

(2) 原告は本件ナイフが使用を許されていないものであることを後で知ったので、刑務所職員(以下単に「職員」という)が毎日舎房検査をする際に、右職員に引きあげて貰おうと考え、数日後、原告が出業するに際し、本件ナイフを床板の上に置いておいたが、当日還房してみると、そのままの状態にあり、翌日も同じようにしたが、依然として同様の状態にあった。そこで原告は、職員に早く気づかせるため、本件ナイフがしまってある場所に鉛筆で丸印をつけておいたところ、その翌日から本件ナイフはなくなっていた。

(3) 右のように、原告は、原告が提出したということを同房者に気づかれない方法により、本件ナイフを職員に提出すべく努力していたのであって、本件ナイフを隠匿所持する意思はなかった。

(4) 本件ナイフを発見した場合に、これを職員に提出しなければならない義務があり、提出しないと紀律違反になるというのであれば監獄法施行規則(以下単に「規則」という)第一九条第一項には、所長は在監者の遵守すべき事項は入監者に告知すべき旨が、同第二二条第二項には、在監者遵守事項は冊子としてこれを監房内に備え置くべき旨が規定されているところ、所長は原告に対し遵守事項を告知しておらず、また、当時房内に遵守事項を記載した冊子は備え置かれていなかったのであるから、原告に対して紀律違反ありとして前記処分をなしたことには重大な違法がある。

なお、昭和四四年五月二八日以降右冊子が各監房に備え置かれるようになったが、その収容者遵守事項の第二の九には「居房内使用を許されておる物品以外のものを持ち込んではならない」と規定されているが、「持ち込んではならない」ということと、「隠匿」とはその意味が全く異なるものであり、原告は本件ナイフを持ち込んだのではないから、原告の行為は右紀律違反に該当しない。

(5) 次に、原告が本件ナイフを見つけた時、同時に同房に居た全員が本件ナイフを見てその存在を知った。従って、本件ナイフを職員に提出しなかったことが紀律違反になるのであれば、同房者全員が紀律違反したことになるにも拘らず、原告に対してのみ前記処分をなしたことは差別的取扱いであり、違法である。

(二) 密書授受について

(1) 昭和四三年八月九日午前九時ころ、原告ら在監者が運動のため運動場に整列した際、原告の背後にいた久野光次が原告に対し、「おい」と声をかけて折りたたんだ塵紙を手渡したので、原告はこれを受取ったところ、右塵紙には、情願を提出する宛先等が記載されていた。

(2) 右の数日前、原告は久野に対し、情願提出の宛先を尋ねたことはあるが、それを紙に記載して手渡してくれるように依頼したことはなく、また久野からも紙に書いて渡すと言われていなかったので、久野から右塵紙を手渡された際、それに前記の記載がなされているとは知らず、原告が塵紙を落したのを久野が拾ってくれたものと思って、無意識にこれを受取ったものであって、原告は密書を授受するといった認識は全くなかった。

(3) 仮に、原告が、右塵紙に前記記載がなされていることを認識して、これを受取ったものであったとしても、およそ密書とは、在監者が証拠隠滅、逃走、暴行等を企て、或はそれを実行せんがために他の在監者や外部の者と秘密に交信する内容の文書を指すものというべきであり、原告が久野と授受した塵紙には他人に公開されても何ら差支えないことしか記載してなかったのであるから、密書とは到底いえない。また、在監者が大相撲の取組、番付等スポーツ関係のことや詰将棋の詰方或は所内生活のこと等を紙に記載して他の在監者と授受することは、日常茶飯事のことで慣習とされているのであるから、原告と久野との前記授受も何ら紀律に違反するものではない。

(4) 仮に、紀律違反行為であったとしても、前記のように、所長は遵守事項を原告に告知せず、またこれを冊子にして備えていなかったので、原告は紀律違反であることを知らなかった。

(三) 大声発声について

(1) 昭和四五年二月当時、鹿児島刑務所では平日の午後六時五分から午後九時までの間、在監者に対し、各監房に備え付けのスピーカーを通じてラジオ放送を聴取させていた。

(2) ところが、同年同月六日午後六時三〇分ころラジオのスイッチは入っているのに音声が聞えなかったので、独居舎夜勤交替看守(氏名不詳)にその旨を告げたが、なお聞えなかったので、更に午後七時二〇分ころ夜勤担当福森看守に対し、「永田担当さんの時には普通に聞えるが、他の担当看守の時はまともに聞かせて貰えない」等と述べ、同看守にラジオの調節を依頼したところ、暫くして調節がなされ、放送が聴取できるようになった。

(3) 翌七日午前九時三〇分ころ、秋元副看守長が原告の居房に来て、「お前は昨夕ラジオのことで夜勤の担当さんに大声で文句を言ったそうだが」と言うので、原告は、大声では言っていない旨答えたところ、同副看守長は「またへんなことになるぞ」と言って去った。

(4) 同月九日午後六時五分ころ、またもラジオのスイッチは入っているのに音声が聞えなかったので、午後六時一四分ころ、同舎奥から来た福森看守にその旨を告げたところ、同看守は「そうか」と言って腕時計をみながら中央の方へ行きかけた際、急に放送が聞えるようになったので、原告は「担当さん今鳴り出したからよかですよ」と言った。

(5) 右のように、原告はいずれもおだやかにラジオの調節を申し出たにすぎず、大声を発したりはしていない。

(6) 仮に、原告が大声を発していたとしても、それは刑務所側が定められた放送時間に放送せず、或は音量の調節が適切でなかったがためであり、また用件がある場合に報知器を表示しても、担当看守は一時間も二時間も巡回して来ないのが実情である。在監者にとっては、ラジオ放送の聴取は唯一の慰安であり、知識獲得の機会であるから、放送時間は一刻を惜しむ時であって、何時巡回して来るかも知れない担当看守を待っている暇はないのであるから、原告が大声を出して善処方を請願したとしても、止むを得ない正当な事由に基づくものというべきである。

(7) 在監者のうちには、ラジオ放送を正常に聴取できるように大声で職員に請願している者は他にも多数いるが、それらの者に対してはせいぜい注意を与えるに止まり、取調処分や懲罰処分にしたようなことはないにも拘らず、原告に対してのみ前記処分をなしたことは差別的取扱いであり違法である。

3  所長の原告に対する前記各処分は、証拠を捏造する等明らかに故意に基づきなされたものである。

4  軽屏禁懲罰の執行を受けると、洗面具以外の所持品は全部取りあげられ、文書図書閲読の禁止、運動の禁止、賞遇の停止、廃止等がなされ、絶えず屏禁房の中央に座っていなければならない。また、独居拘禁処分の執行も運動日につかの間だけ屋外に出ることができ、入浴が許されるといった点を除いては屏禁罰と異なるところはない。

原告は前記各処分を受けたため筆舌に尽せない肉体的、精神的苦痛を受けた。

そこで、原告は被告に対し、慰藉料として一日分を五、〇〇〇円とし、前記違法な処分の合計五八日間分の合計金二九万円の支払を求める。

二  被告の答弁と主張

1  請求原因1は認める。

2  同2の(一)の(1)は認める。

3  同2の(一)の(2)および(3)は争う。

4  同2の(一)の(4)のうち、その主張の規定のあることは認めるが、その余は争う。

5  同2の(一)の(5)は争う。

6  同2の(二)の(1)は認める。

7  同2の(二)の(2)ないし(4)は争う。

8  同2の(三)の(1)は認める。

9  同2の(三)の(2)ないし(7)は争う。

10  同3および4は争う。

11  各軽屏禁処分は次に述べるように違法ではない。

(一) 本件ナイフ隠匿所持に基づく軽屏禁処分について

昭和四三年七月三日山下忠夫看守部長は原告が在監している第一雑居舎第一四房を捜検した際、房壁と床板の隙間に本件ナイフのあるのを発見したので、直ちにこれを引きあげ、桜田昭吉副看守長をして内査せしめたところ、原告が所持していたものであることが窺えた。そこで、原告を独居拘禁に付して第一独居舎第二八房に転房させ、原告および同房者につき取調を行ったところ、原告は昭和四三年五月二五日本件ナイフを房内で発見しながら、これを隠匿所持し届出をしなかったものであると述べてその罪を認め、寛大な措置を願う旨の申立をした。

このように原告が本件ナイフを房内で発見しながら、長期にわたり隠匿したまま届出をしなかった行為は規則第一九条第一項、第二二条第二項により所長が定めた在監者遵守事項の第二の九に違反する明白な紀律違反であり、そこで所長は懲罰委員会に付し、原告の行為を審査したうえ、監獄法第五九条、第六〇条により原告を懲罰に処したものであって、何等違法はない。

なお、在監者の遵守事項は冊子として常に房内に備えつけ、周知させている。

(二) 密書授受に基づく軽屏禁処分について

昭和四三年八月九日午前九時ころ、原告は運動のため収容されていた第二独居舎第四六房から運動場に出て、他の在監者と整列している際、同独居舎第四〇房収容の久野光次から、塵紙の折りたたまれたものを受け取ったのを有馬利春看守に発見された。桜田副看守長は右行為が紀律に違反する懲罰事犯にあたるものとして、所長の承認を得て原告および久野光次を昼夜独居拘禁に付して取調を行なったところ、原告が久野に運動場または浴場で会うたび毎に、情願の名宛を執拗に尋ねるので、久野は口頭で教えると間違いを生じると考え、塵紙に情願の名宛等を書いて手渡したものであって、原告と久野との間に密書授受の行為があったものであることが認められた。そこで所長は懲罰委員会に付し、審査したうえ、監獄法第五九条、第六〇条により原告を懲罰に処したものであって、何等違法はない。

(三) 大声発声に基づく軽屏禁処分について

昭和四五年二月六日午後七時三〇分ころ、原告は収容されていた第二独居舎第三五房内で「ラジオの音がこめど(小さいぞ)」と大声で怒鳴ったので、これを聞いた福森静雄看守が、夜間大声を発しないように注意し、更に翌七日秋元鉄三副看守長も「昨夜ラジオのことで大声を発したとの報告を受けたが、夜間大声を発することの善悪は承和のはずであるから、再度大声を発することがあれば取調のうえ懲罰を申請する」と厳重に注意を与えた。

しかるに、同月九日午後六時七分ころ、原告は「ラジオはまだ鳴らんど」と大声で怒鳴り、そのうち放送され始めると「鳴った鳴った」等と言ったりした。

およそ、房内で異状がある場合には報知器をもって表示し、担当職員に通報しなければならないが(在監者遵守事項)、そのような報知器の表示による通報をしないで、在監者が徒らに大声を発しているとき、これを放置すれば刑務所内は喧騒となり秩序が大きく乱れ、収拾できない状態に陥るおそれがあるので、職員は常に在監者に大声を発しないよう指示し、特に夜間は厳しく取締をなしているのである。

原告は既に福森看守および秋元副看守長の注意を受けていながらその指示に従わず、なおも大声を発したので、同月一〇日秋元副看守長は右行為が紀律に違反する懲罰事犯にあたるものとして、所長の承認を得て原告を昼夜独居拘禁に付して取調を行い、同月一七日所長は原告の行為を懲罰委員会に付して審査したうえ、監獄法第五九条、第六〇条により原告を懲罰に処したものであって、何等違法はない。

なお、昭和三一年四月ころから所内放送を設備し、在監者にラジオ放送を聴取させているが、これは教化運動の一つとして実施しているものであり、原告主張のような時間に在監者に聴取させなければならない法律上の義務はない。

(四) いかなる紀律違反に対して、いかなる懲罰を科するかは、所長の裁量に属するものであるところ、前記各懲罰が右裁量権の濫用にわたる違法なものであるとは、到底いえないものである。

12  各軽屏禁処分に当って故意過失はない。

以上のように、原告に明白な紀律違反があったので、原告を懲罰に処したものであって、原告主張のような故意はない。

13  原告に損害は発生していない。

軽屏禁とは、厳格な隔離によって謹慎させ、精神的孤独の痛苦により改悛することを促すため、受罰者を罰室内に昼夜屏居せしめることであるが(監獄法第六〇条第二項)、現実には通常の独居房を罰室にして、これに屏居させ、原則として入浴(代りに身体を清拭させる)、運動、一般人との面会等ができないだけである。

原告は既に刑罰の執行によって入監し、その肉体的、精神的自由は拘束されているものであって、前記懲罰による自由の制限は公の営造物たる刑務所の秩序維持のため已むを得ない最低限のものであって、本来的な拘禁による自由の制限に比べても、筆舌に尽せない肉体的、精神的苦痛とはいい難く、この程度の自由の制限は、懲罰の執行として当然受忍しなければならないものである。

14  独居拘禁取調処分について

原告が付せられた独居拘禁は、前述のとおりいずれも原告が懲罰事犯につき取調中の者であるがために付せられたものであって(規則第一五八条)、懲罰として執行されたものではない。

本来、受刑者は自由刑の執行によって監獄内に拘禁されるものであり、独居拘禁とは、この場合における行刑処遇上の拘禁方法をいうのであって、心身の状況により不適当と認めるものを除くほか、これを独居拘禁に付することができ(監獄法第一五条)、他の在監者と交通を遮断し、召喚、運動、入浴、接見、教義、診療または已むを得ざる場合を除くほか、常に一房内に独居させなければならないものである(規則第二三条)。しかして受刑者は戒護のため隔離の必要のある者(規則第四七条)、懲罰事犯につき取調中の者(規則第一五八条)を除いては、余罪または刑期限内の犯罪により審問中に在る者、刑期二月未満の者、入監後一五日を経過せざる者の順に独居拘禁に付するものとされている(規則第二五条)。従って、原告のように懲罰事犯につき取調中の者は法規の定めるところに従い当然独居拘禁に付せられるものであって、どの程度の期間独居拘禁に付せられるかは、隔離の必要を考慮しての所長の裁量に属するものであり、原告に対する前記独居拘禁は所長の裁量権の濫用にわたり違法であるとはいえない。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  原告が鹿児島刑務所に服役中、所長から、原告主張の事由により、その主張の各処分を受けたことは当事者間に争いがない。

二  原告は、所長のなした右各処分は違法な処分である旨主張するので、先ずこの点について判断する。

1  ナイフの隠匿所持に対する処分について

(一)  原告が昭和四三年五月二五日ころ、第一雑居舎一四房において、その床板と壁との隙間に本件ナイフがあるのを見つけたことは当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すると、

(1) 原告が見つけた本件ナイフは鋼鉄で作られた巾〇・九糎、長さ三・五糎、厚さ〇・一糎、刃渡り二・五糎のものである。

(2) 原告が本件ナイフを見つけて隙間から取り出した際、同房に居た厚ヶ瀬義美、古川和良、稲生正一もこれに気付き、古川が「そんな物を見つかるとしけだぞ」と告げたので、原告はもとあった隙間に入れたが、以後原告や右同房者らは本件ナイフを鉛筆を削ったり紙を切ったりするのに使用していた。そして本件ナイフを使用した者は使用後もとの隙間に入れておくようにしていたが、数日後作業を終えて還房した際、本件ナイフが床上に放置されていたので、古川が前日使用していた稲生に対し、使用後はもとの隙間に入れておくように注意したということもあって、間もなく原告が床板から約五ないし六糎位上の壁に直径約一糎余の円を鉛筆で書いてこれを目印とし、以後本件ナイフを使用した者はその目印の下の壁と床板の隙間に本件ナイフを入れて置くようになった。

(3) その後幾日か経って、本件ナイフが右の場所になく、原告や同房者らが房内を探したが見つけることができなかったけれども、昭和四三年七月三日、監房の検査を担当していた山下忠夫看守長が同僚から、同房にナイフが隠匿されているらしいということを聞き、田代看守と二人で同房内を子細に捜検した結果、同房の床板と壁の隙間から本件ナイフが発見された。

以上の事実を認めることができる。

原告本人の供述のうちには、検証したナイフは本件ナイフではない旨の供述があるが、右供述は、証人山下忠夫、同桜田昭吉の、検証したナイフが本件ナイフである旨の各証言に照らすとたやすく信用できない。≪証拠省略≫のうちには、右認定の本件ナイフが居房の床上に放置されていたこと、および居房の壁に原告が円を書いたのは、いずれも原告が本件ナイフを職員に早く発見して貰おうと考えて行ったものである旨の記載、供述が、≪証拠省略≫のうちには、本件ナイフが見失われたのは、原告が居房の壁に円を書いた当日の夕方である旨の記載、供述があるが、右各記載内容、供述は、≪証拠省略≫によると、本件ナイフが床上に放置されていたことについて古川が稲生に注意したことに対して、稲生から特段の反論もなかったこと、厚ヶ瀬は原告が壁に円を書いたのを見ていたが、本件ナイフが見失われたことについて厚ヶ瀬、その他の同房者から原告に対して、原告が円を書いたことを非難するような言動は何も行われなかったことが認められることに照らして考えると、いずれもたやすく信用することはできない。他に、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

前記認定事実によると、原告が昭和四三年五月二五日ころ房内において本件ナイフを発見して以降、同房でこれを見失うまでの間(その期間は確定し得ないが、少くとも数日以上)原告が本件ナイフを自己の支配下に置いて隠匿所持していたと認めるに充分であり、原告の、原告は本件ナイフを隠匿所持する意思がなかった旨の主張は採用できない。

(三)  次に、規則第一九条第一項には、所長は在監者の遵守すべき事項を入監者に告知すべき旨を、同第二二条第二項には、在監者遵守事項は冊子としてこれを監房に備え置くべきことが規定されているところ、原告は遵守事項の告知を受けず、また当時監房内には遵守事項を記載した冊子は備え置かれていなかった旨主張するが、≪証拠省略≫を合わせて考えると、鹿児島刑務所における現行の収容者遵守事項は、昭和三〇年達示第二三号として同年一二月一日に定められたものであり、右遵守事項は冊子に印刷されていること、鹿児島刑務所においても入監者に対する収容者遵守事項の告知、および収容者遵守事項を冊子として監房に備え置くことが一般的に行われていたことを認めることができ、原告本人の供述のうち、原告が昭和四二年八月一四日に鹿児島刑務所に入監後において、収容者遵守事項の冊子が監房に備え置かれているのを見たのは昭和四四年五月二八日以後である旨の供述は、≪証拠省略≫に照らすとたやすく信用することはできず、他に、右認定を覆すに足りる証拠はなく、右認定事実によると、原告も昭和四二年八月一四日に鹿児島刑務所に入監した当時、収容者遵守事項の告知を受け、また原告が昭和四三年五月二五日から同年七月三日まで収容されていた第一雑居舎一四房にも収容者遵守事項の冊子が備え置かれていたものと推認するのが相当である。のみならず、前掲記の規則の各規定は、在監者遵守事項が監獄内の紀律を構成するものであり、その違反に対しては監獄法第五九条により懲罰が科せられることになっているので、在監者の人権保護の見地から、懲罰の対象となる紀律違反の内容を在監者に予め明示しておくことを要するというのが、その立法趣旨であると解されるところ、原告本人の供述によると、原告は昭和四二年八月一四日に鹿児島刑務所に入監するより前に、昭和二九年頃から懲役一年、懲役二年、懲役三年の各刑によって、三回にわたっていずれも鹿児島刑務所に在監したことがあることが認められること、および≪証拠省略≫を合わせて考えると、原告は昭和四二年八月一四日に鹿児島刑務所に入監した際既に、在監者は居房内においては、特に許可された物品以外の物品を所持することを禁止されているということを熟知していたと認めることができるから、仮に、何らかの事情に因って、原告が昭和四二年八月一四日に入監した際に、収容者遵守事項を具体的に告知されず、また原告が第一雑居舎一四房に収容されていた間、右居房に収容者遵守事項の冊子が備え置かれていなかったとしても、右の事実は、原告の本件ナイフの隠匿所持に対する所長の処分を違法なものとする事由とはならないものというべきである。

(四)  ところで、右乙第四号証の収容者遵守事項によると、その第二居房内の心得の九に「居房内使用を許されておる物品以外のものを持込んではならない」と定めているところ、原告は「隠匿所持」は右「持込み」に該当しない旨主張する。しかし遵守事項の右の定めは、居房内において使用許可以外の物品の所持を禁じることにより、在監者の平等、保安等の維持を図ることを目的とするものであるから、単に使用許可以外の物品を積極的に外部から居房内に持込むことのみでなく、既に居房内に持込まれていた使用許可以外の物品を自己の支配下において所持することをも禁止する趣旨であることは明らかであり、原告の右主張は採用できない。

(五)  次に、原告の差別的取扱の主張について検討する。

およそ、紀律違反を犯した者がある場合に、懲罰を科するかどうか、科するとしていかなる懲罰をどの程度科するかは、その紀律違反行為の態様のみならず、行為者の受刑態度その他諸般の事情を斟酌して行う刑務所所長の裁量にゆだねられているところである。

前記認定事実によると、原告と同房に居た厚ヶ瀬、古川、稲生の三名も原告と意思相通じて本件ナイフを隠匿所持したものと認めることができるが、本件ナイフは原告が見付け出したものであること、原告は壁に円を書いて本件ナイフの隠し場所を特定することによって、その所持の継続を容易にしようとしたことを考慮すると、原告に対してのみ懲罰を科し、古川ら他の同房者を不問に付したからといって、それが前示所長の裁量権の範囲を逸脱した違法なものであると断ずることはできない。

2  密書授受に対する処分について

(一)  昭和四三年八月九日午前九時ころ、原告ら在監者が運動のため運動場に整列した際、原告の背後にいた久野光次が原告に対し「おい」と声をかけ、情願を提出する宛先等が記載されている折りたたんだ塵紙を手渡し、原告がこれを受取ったことは当事者間に争いがなく、なお右塵紙の検証の結果によると、それには、情願を提出する宛先のほかに、「封筒の〆の所は縦線を自分で何本引くと言う風に決める。開封して証拠を堙滅する可能性充分にある。<法務大臣上願文書の終結に開封の恐れ充分ありますので、上願文書を御面倒ながら私に今一度見せて下さる様切望致します>を必ず書添へする」等の情願を提出するに当って配慮すべき事項等の記載がなされていることが認められる。

(二)  原告は、右塵紙に右のような記載がなされていることとは知らず、原告が所持していた塵紙が落ちたのを久野が拾ってくれたものと思って無意識にこれを受け取ったと主張し、≪証拠省略≫のうちには、右主張に副う記載や供述がある。しかし右記載および供述は後掲証拠に対比すると容易に信用し難く、かえって≪証拠省略≫を総合すると、

(1) 原告は鹿児島刑務所の処置に対し不服な点があったので法務大臣に情願しようと考えたが、法務省の所在地がわからなかったため、昭和四三年八月三日ころの入浴時に久野光次にそれを尋ねたところ、「何をするのか」と問われ、「情願する」と答えると、「情願は簡単にできないからやめた方が良い」等と情願することを止められたが、是非にと頼んだ末、その所在地が東京都霞ヶ関一の一であることを教えて貰った。

(2) 間もなく原告は情願書を封筒に入れ、右所在地を記載して提出したところ、翌日桜田副看守長から「宛先が違う」と言って右封書を原告の居房内に投げ込まれたため、原告は久野に対してその旨を話し、再度所在地を尋ねたところ、同人は「俺は東京に住んでいたことがあり、霞ヶ関一の一に間違ない」と答えたが、その後も原告が情願について執拗に尋ねるので、久野は「それならはっきり教えてやる」と告げた。

(3) かくて久野は塵紙に前記内容の文言を記載し、同月九日午前九時ころ運動場に整列した際、同人の前にいた原告に対し、「おい、ここに書いてきた」と言って右塵紙を原告に手渡し、原告は「どうもありがとう」と言ってこれを受取った。

以上の事実を認めることができ、右認定事実によると原告は久野から塵紙を手渡された際、これに少くとも法務省の所在地が記載してあることを認識のうえ、これを受取ったものと認めることができる。

(三)  前掲収容者遵守事項の第一、一般心得の九に「書信の不法発受又は密書の授受をしてはならない」と定められているところ、原告は、原告が受取った塵紙は右にいう密書には該当しない旨主張する。しかし、右遵守事項の前段が、書信(監獄法第四六条にいう「信書」と同意義と解される)について、その内容の如何を問わず監獄法、規則、行刑累進処遇令等法定の制限、手続に違反する発受を禁止したものであることに対比して考えると、右遵守事項の後段は、書信以外の文書の許可を受けない授受を禁止したものと解するのが相当である。すなはち、右の「密書」とは、その内容の如何を問わず、その授受について許可を受けていない書信以外の文書をいうものと解するのが相当であり、原告主張のように、不法な目的のため記載内容を秘密とすべき文書のみに限定するのは相当でないから、原告の右主張は採用できない。

また、在監者の間に、原告主張の文書の授受の慣習の存在を認めるに足る証拠はなく、仮に一部の者の間に、秘かにそのような文書の授受がなされている事実があったとしても、それを所長が容認若しくは黙認していると認めるに足る証拠はない。

更に、原告の、原告は遵守事項の告知を受けず、遵守事項を記載した冊子が監房内に備え置かれていなかったから、原告に対する処分は違法である旨の主張は、前記1の(三)に説示した同様の理由で(昭和四三年八月九日当時、原告が収容されていた第二独居舎三〇房にも収容者遵守事項の冊子が備え置かれていたものと推認され、また、原告は、在監者が密書の授受をすることは禁止されていることを熟知していたと認められる)採用することができない。

3  大声発声に対する処分について

(一)  昭和四五年二月当時鹿児島刑務所では、平日の午後六時五分から午後九時までの間、在監者に対して各監房にあるスピーカーを通じてラジオ放送を聴取させていたことは当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すると、

(1) 右ラジオ放送は時折その所定の時刻になってもスイッチが入っておらず、或は音量が小さい等のため、在監者に聴取できない場合があり、昭和四五年二月四日の放送も右の状態にあったので、原告は担当看守に時々このような状態になる旨を申し出で、担当看守から保安課にその旨の連絡がなされた。

(2) 同月六日午後七時三五分ころ、ラジオ放送の音量が小さかったので、原告は「ラジオがこめど(小さいぞ)」と大声を発し、原告の居房に赴いた福森担当看守に対し、「永田担当の時はよく鳴るけどほかの人の担当の時は遅くから鳴り出したり、音量が小さかったりする」旨の実情を述べた。

(3) 翌七日、特別視察者動静観察簿を閲読した秋元副看守長は、前夜原告が大声を発したことを知り、原告の居房に赴き、原告に対し、大声を発してはならない旨の注意を与えた。

(4) 原告は翌八日のラジオ放送の音量が小さかったので、午後一七時二〇分ころ報知器を表示して当夜の本城担当看守を呼び、「ラジオの音声が低いので頭にくる」と告げたところ、同看守から「高音にすると勉強をしている者には騒がしいし、なお今は電圧が下っている関係で音量が小さいのだ」と言われた。

(5) 原告は翌九日午後六時七分ころ、ラジオ放送が聞えなかったので、「ラジオが鳴らんど担当さん」と大声を発したので福森担当看守が原告の居房に赴いたところ、折柄ラジオが鳴り始めたため、原告は同看守に「ああ鳴った鳴った」と告げた。

以上の事実を認めることができる。≪証拠省略≫のうちには、原告は大声を発していない旨の記載および供述があるが、右は前掲証拠に対比して信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によると、原告は二月六日に大声を発し、翌朝そのことで注意を受けたにも拘らず、同月九日にまたも大声を発したものである。

(三)  次に、原告の正当事由の主張について検討する。

前記認定のとおり昭和四五年二月当時、在監者に対するラジオ放送が、時折その所定の時刻に放送されず、或はその音量が小さくて放送が聴取し難いことがあったのであり、右の点については、被告主張のとおりラジオ放送が刑務所における在監者に対する教化作用の一つとして実施されるものであって、刑務所の在監者に対する法律上の義務の履行としてなされるものではないけれども、刑務所側に不手際があったとの謗は免れ得ない。また≪証拠省略≫によると、在監者が監房の報知器によって用件のあることを知らせた場合に、担当看守に直ちに来てもらえないことがあるのが実情であることが窺われ、原告本人の供述によると、原告は特定の連続した放送を聴取していたこともあって、ラジオ放送が所定の時刻に開始されず、あるいは適音で聴取できないことに焦慮の念を抱くことが多かったことが推認される。

しかし、右のような刑務所側の不手際や原告の心情等を考慮しても、だからといって、大声を出してその是正を求めることに正当事由があるものとはいえないから、原告の主張は採用できない。

(四)  次いで、原告の差別的取扱の主張について検討する。

≪証拠省略≫によると、ラジオ放送が所定の時刻に放送されず、或は音量が小さいため聴取し難い場合に、原告以外の在監者のうちにも、報知器で看守を呼ぶことなく、大声を出してその是正を求め、担当看守によって注意を受ける者があったことを認めることができる。しかしながら、右注意を受けた者が数日ならずして同様の事由で大声を出し、それにも拘らず何らの懲罰を受けなかったと認め得る適確な証拠はない。もっとも、前記認定のとおりの原告が大声を発するに至った経緯、刑務所側の事情等を考慮すると、大声を発したことについての前記原告に対する処分は、いささか重きに失するのではないかとの感がないではないが、前示所長の裁量権の範囲を逸脱した違法な差別的処分であるとまで断ずることはできず、原告のこの点に関する主張も採用することができない。

三  以上のとおりであるから、所長の原告に対する前記各処分が違法であるとの原告の主張はいずれも失当であり、所長が原告に対してなした前記各処分はいずれも適法であるということができるから、原告の本件各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないものといわなければならない。

よって、原告の本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺井忠 裁判官 出嵜正清 坂主勉)

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